てぃーだブログ › インプロオキナワ › ひとりごと › ザ・ベクデルテスト2〜振りかえればなるほど

2018年12月06日

ザ・ベクデルテスト2〜振りかえればなるほど

忘れないうちに書いとこう、と思ってたのに、風邪で予定がずれてしまった。いかんいかん。


ところで。
インプロの方の「ザ・ベクデルテスト」は、サンフランシスコのインプログループ「BATS」のリサ・ローランドさんというプレイヤーがそのフォーマットを作った、そうで。

インプロは、台本なしで演じられるお芝居。劇作家がいないので、そのストーリーは、演者の記憶、体験や価値観といったものに影響されるし、またお客様からもアイディアをもらうのでお客様の感性にも影響される。あと、その日のその場の空気というか、会場全体の雰囲気にも左右される。

とにかく、とっさに出てきたものを使って演じるので、ともすると、よく言えば「わかりやすくシンプルに」言い換えると、超ベタなステレオタイプのキャラクターやストーリーになったりする場合もある。あと、さっきも書いたように、プレイヤーの持っているものに影響されるので、ヒトの組み合わせによってはすごくリベラルなシーンができたり、すごくシュールになったり、すごくバイアスのかかったシーンができたりする可能性もある。

洋の東西を問わず(←おや、懐かしい言い回し!)演劇界にもジェンダーバイアスとか、パワーバランスみたいなものがあるし、無意識の習慣や癖、偏見も含めてプレイヤーが持っているものがさらけだされたりしますんで、男性が支配的になりがち、とか、女性が添え物になりがち、みたいな現象もまぁとうぜん起こるわけなんでしょうね。

そんなことへの問題提起というか、チャレンジということもあって、リサさんはこの「ザ・ベクデルテスト 」というフォーマットをつくったんだろうか、と思うんですが、BATSがハリウッドのあるロサンゼルスを拠点としているグループだっていうのは、関係あるのかしら、ないのかしら。

で、その「ザ・ベクデルテスト 」はどんなかんじのフォーマットかというと、

・3名の「女性」プレイヤーが、それぞれ「女性の」主人公を演じる。
・主人公たちの名前やちょっとした背景を、お客さんにもらったアイディアから決める。
・その他のプレイヤー(男女)は、代わる代わる主人公に関わるたくさんの人物を演じる。
・いろんな場面をランダムに作っていくことで、3人の主人公の人生のスナップショットを追って観ることができる。
・主人公たちのモノローグがある。


こんなかんじ。

もちろん「女性」を「男性」と入れ替えたって物語として成立するんですが、あえて女性枠にしてあるわけですね。
そうすることで何が起こるか。

そのまえに。

…してこの、「ザ・ベクデルテスト 」に出ませんか?というお話があり、ぜひということになったわけなんですが。さて。

考えてみると、自分は普段の生活の中で、ジェンダーバイアスで苦労してないし(身の回りにあろうがなかろうが実感として苦労はしていない)、男に振り回されるような人生も送ってないので、逆に意識してがんばらないとシーン中に「男の話題」をすることもままならない。

じゃあジェンダーバイアス…っていうとパンチが薄まるのであえてここで【ジェンダーバイアス=社会的・文化的性差別あるいは偏見】と記しておきますが…に全く影響を受けていないか、とか、関心がないか、というとそうではない。

おそらく現在の日本に生きている女性の多くは、「セクハラされた」とか「女性だから昇進できなかった」みたいなあからさまなことがない限り、自分が差別や偏見の対象になっているとは思いもよらないだろうが、女性に参政権や人権がない時代や国の女性たちだって、それに慣れきって疑問に思わない人はいるわけで。

そういうわけで、あえて自分の生活をほじくり返してみると…

たとえば、うちの市では女性の市議会議員は20人のうち2人だけ。

契約社員だらけで女子多めの職場が有給休暇問題で揉めた時に、本社(大阪)のエライ人(男だ)と面談したんだけど、ああこの人はうちらのことを「ケイヤク」「オキナワ」「オンナ」とトリプルで舐めてかかってんだろうなあーと、じんわり感じた。

あと、いつだったか沖縄の同年代の「女優」同士で、ある若手男性俳優らが、どうも先輩男性俳優の言動には敏感に反応するくせに、うちらの言うことにはなんというか「はぁ?」っていう態度だよねえ…あれなんだろうね?そうそう、やだ、やっぱそう思う?私だけじゃなかったんだ!だよねー!ま、男は男同士のヒエラルキーが好きだからねえ…なんて話題になったこともあった。

劇団の養成所にいた頃、昔気質(?)な団体だったので、今からすると「それは明らかにセクハラですね」「パワハラですね」ということはよくあった。

ストップ。…そうやって過去まで遡ってほじくり返していくと、自分が女性だからこそ得たネガティブな体験や記憶は、実は、ちっちゃくなって海の砂に混ざってるガラスのかけらくらい無数に拾い集めることができそうだ…といま思う。これはいつか然るべき時にどこかでだれかとゆっくりシェアしたい気がするけど…

一方で、いまは、少なくとも私が子どもの頃に比べれば、子どもたちは自分の好きな色のランドセルを選び、男性の看護師や保育士、女性の運転士やガテン系は珍しくなくなった。女性の「長」とか「管理職」なんかはまだまだ追いつかないけど、昭和に比べればだいぶん感覚が変わってきているだろうと思う。

こんな2018年現在に、自分がこの「ザ・ベクデルテスト 」に出た時に、一体どういうシーンになるんだろうなあ?
というのはやってみるまで想像がつかなかった。
まさか、むっちゃウーマンパワーなシーンができちゃったりするんだろうか!?

と、いうことで、やってみた結果…



あんまり、ふだんと変わらなかった…うん?

つづく…ガラスのかけら、久しく拾ってないなあ。
ザ・ベクデルテスト2〜振りかえればなるほど



Posted by 渡辺奈穂 at 23:57 │ひとりごと